日本人よ「尼港事件」(にこうじけん)を忘れてはならない

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1920年ロシア内戦中の1月から5月に起きたアムール川河口ニコラエフスクで
起きた赤軍パルチザン(ロシア人3000名,朝鮮人1000名,中国人300名)による大量虐殺事件。
ここに書かれた生き残った人々の証言は読むに耐えない。
当時の背景を考えてみても到底、日本人としてロシア人を許すことはできない。


廃墟となったニコラエフスク(尼港)

廃墟となったニコラエフスク(尼港)

監獄の壁に書かれた尼港事件犠牲者の遺書 「大正九年五月24日午后12時忘ルナ」

監獄の壁に書かれた尼港事件犠牲者の遺書 「大正九年五月24日午后12時忘ルナ」

1920.6.8大阪時事新報より

 新聞記事文庫 外交(43-095)

大阪時事新報 1920.6.8(大正9)

ニコラエフスクの状況

 ニコラエフスクを占領したる我臨時軍派遣隊司令官の報告に依れば同地に在りたる生存同胞は去月二十五日頃全部殺戮せられたるものの如く露国人支那人の配偶者たる婦人十名を除くの外、現に生存するもの一人もなしと云う是を以て見るときは同地に於ける邦人虐殺の惨事に関して従来断片的に報道せられたる所は少くとも大体上には果して事実なるを確かめ得べきのみならず是等の報道が尚お九死に一生を保ち居れりと伝えたる約百三十名の人々の生命をば我救援軍の到着まで存続せしめんことを責めての希望と為したる其の希望すらも今や全く水泡に帰したるを知る可し只我守備隊の全軍覆滅し在留邦人の悉く鏖殺せられたる委曲経過が従来伝えられたる所と毫厘の相違なきや否やは占領軍の直接の調査を待って始めて明白なる可しと雖も既に邦人の隻影を見ざる以上二月下旬に於ける惨事の如何に惨状を極めたるや将た又生存者が我救援軍の近づきたる場合に最後の鮮血を濺ぎたる光景の如何に哀れなりしやは之を想像するに余りあり我輩は今更ながら是等の人々の極端なる不幸を悲しむと共に斯る凶暴非道の所業を敢てしたる輩に切歯せざるを得ざるなり
 露国の過激派が其志を得たる以来屡々無辜を虐殺したるは隠れもなき事実なれどもニコラエフスクの罪悪を犯したるパルチザンの一派は北樺太の首府アレキサンドロウスクを根拠とせる特殊の団体にして本来極悪の匪類より成り過激派中の過激派とも云う可きものなれば其悪行の極端に走りしも寧ろ怪しむに足らざれども彼等が其虐殺を行う方法に至りては殆んど言うに忍びざるものありしが如し同地より浦塩斯徳に帰りし露国人同じくアレキサンドロウスク港に帰りし米国人、及び最近デレカストリーに於て惨事目撃者たりと云う露国人等の報告に拠よば我軍人及び在留邦人中の男子に対しては勿論抵抗力を有せざる婦人小児を虐殺する場合にも其生命を絶つ以前に於て或は指跋手足等を切断し或は両足を二頭の馬に縛して所謂車裂きを行い或は氷中に浸して自然に凍死せしむる等の有らん限りの凶悪なる方法を用いたりと云う是等の談話、果して真実なるに於てはパルチザン派の輩は聊かたりとも人心を具うるものの到底敢てし得ざるところを敢てしたるものにして即ち彼れ等は毫厘の人心なき悪魔なりと断ずるも決して過言に非ず、所謂鏖殺なるものは最近数十年間に亘り土耳其領或は露国領等に於て行われたることありと雖も斯くまでも凶暴非道なる方法を用いたることは我輩の聞かざる所にして今度の一事こそ鏖殺の最悪なる事例と認めざるを得ず即ち此点は独り我国人のみならず諸外国人にも少からざる刺激を与う可きことを疑わざるなり更に同じ報告に見ゆる我軍人官吏及び邦人の奮闘、殊に婦女子に至るまで戦死者の銃を執りて最後まで防戦し愈々力尽くるに及んで互いに帝国の万歳を唱えながら猛火の内に飛込みたりと云うが如き悲壮極まる報道が尽く皆事実なりとすれば実に同情に堪えざる一方に散際潔き桜花に比す可き我国民性を存分に発揮したるものとて坐に感類を催さざるを得ず我軍人、官吏、在留民及び其の妻子合計約六百名は孤立無援の異境に於いて斯くの如き悲惨なる死を遂げたりと雖も最期は我国民の名誉として不朽に伝わらんこと疑うべからず我軍のニコラエフスク到着を機会に犠牲者の全部に対し謹んで深甚なる弔意を表するものなり而してニコラエフスクのバルチザン派は我軍の到着前に生存邦人を殺害して何れへか跡を晦ましたるものの如くなれども今後或は其部分を発見するやも知る可からず惨事の実況を詳にするが為めにも之を希望せざるを得ざれども斯くの如き場合に於ても我軍は万事を通じて文明的態度を持し例令悪魔の如き輩と雖も之に処するの道は人道に違うことなく以て我軍紀の厳正なることを明かにす可きは我輩の今より期待する所なり。

データ作成:2013.5 神戸大学附属図書館