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午後も2時をまわり、とても暑いので近くのレストラン宮ステーキに涼みに行った。
ドリンクバーで喉を潤し、冷たいアイスでも食べようと、メニューを眺めてみた。
目に飛び込んできたのは「懐かしいアイス」
思わずツッコミを入れたくなるメニュー名だ。
子供と一緒に入ったので、余計に懐かしい❓というアイスは、子供には意味深な名前なのである。
そう、懐かしいというのは大人の言葉である。定義はないとは思うが、自分的には、最低でも20年以上、過去の状況を思い出して使う言葉だ。
最近、自分が懐かしさを感じた事と言えば、倉庫を掃除したところ、中学生の頃、技術の時間に作った木の本棚が出てきたことだ。35年も前のものだ。当時の先生やクラスメイトを思い出して懐かしく感じた。
もうひとつ、自分的にアイスクリームで懐かしいと言えば、「レディボーデン」である。
「レディ~ボーデン♪ ♪ レディ~ボーデン♪ ♪」
金の縁の蓋のついたアイス。食べてみてその美味しさにビックリした。大きなカップを冷凍庫から出し、スプーンで少しずつかき取っては食べていたのが懐かしい。40年も昔のことだ。
さてさて本題に戻ろう。ここは、素直に聞いたほうが早いはず。
店員さんを呼び、この「懐かしいアイス」とは、どんなものなのか聞いてみた。
「器が懐かしいのでこの名前なのです。中身は、普通のアイスです。」
なるほど。器か。とりあえず注文してみた。
暫くして届いた。
これが「懐かしいアイス」
うーむ。よくわからない。昭和初期には、こんな器だったのだろうか❓
それとも大正時代なのか、そもそもいったい、いつの時代を指した懐かしさなのだろう❓
そうだ、書いていて気がついた。「懐かしい」というのは、「思い出」が絶対必要だ。思い出に対して懐かしさを想うものなのだ。
思い出なしには懐かしさは感じない。思い出は絶対条件だ。冒頭に書いたように、子供が懐かしさを感じないのは、その為だ。
例えば500円札を見て、使ったことがある人は「あっ、懐かしいなぁ!」となるだろう。知らない若い世代は、「昔って札だったんだ。へぇ~っ!」となり、懐かしさは感じないはずだ。
使用した、利用した、見た、触れた、身近な存在であることも必要かもしれない。昔の写真もそう。
しかし、この器を見ても自分は記憶がない。店の希望にそぐわず、申し訳ないのだが、懐かしさを微塵も感じない。
よって、この名前は、万人向けではない。不特定多数を相手にする飲食店のメニュー向けではない。年寄りなら、懐かしさを感じるのかも知れない。子供は、対象になどならない。全くもって論外だ。